宮崎の県都である宮崎市と工業都市、延岡市の間に位置する、静かな農村地帯にある都農町に鎮座まします「都農神社」です。御由緒によると神武天皇東征のおりに立ち寄られ「国土平安」「海上平穏」「武運長久」を祈念して「大己貴命」の御祭神を祀ったのが最初とされます。
 戦国時代「島津」と「大友」両家の熾烈な争いでその戦火をうけ社殿を消失。その後、政局の安定する江戸の世になるまでの100年間はただ小さな祠あるのみとなっていたこともあったようだ。元禄5年(1672年)高鍋藩主「秋月種政」により再建されその後は幾たびかの改修再建をくりかえしてきている。昔から地元の信仰厚く、日向一之宮として崇敬されています。
 
 以下の映像は平成19年9月参拝時のものですが、この年の7月7日、七夕の日に旧社殿の老朽化のために「平成の大造営」と銘打って5年にも及ぶ大改修が行われた後でした。
 よって社殿も新しく社域内も整頓されて実にすばらしい景観となっておりました。
ぜひ、きれいになった新社殿お参りされてください。




 国道沿いにある、石の大鳥居。四方に電柱や電線などがあり景観的にはあまりよくありません。鳥居は立派なのですこし残念です。

 境内内にある風景です。珍しいお宝もあります。


 新造された御本殿と異なり、もとからあったのでしょうかこの御神門は年代もののようです。

 社域内です。新社殿でへとまっすぐ伸びる御正中の敷石です。
周りの敷石もきれいで整頓されています。

 新造された御社殿です。誠に立派な御社殿です。地元の信仰の厚さを感じます。新しいのでまだ芳しい木の香りがいたします。

 社域内の風景です。「一之宮公園」と隣接しており住民の憩いの場となっています。本殿横には池があり、山からの湧水が流れております。また、この神社内にはなんと2600本の杉の木があり、緑あふれる神社であります。








 
 御神門右の神楽殿。本殿が新造されるあいだ、こちらが仮の拝殿でした。
右は神輿です。御由緒によるとこの神輿は国内に数台しかないほどの本格的で立派なものだそうです。いわれてよく見ると、すばらしい。細かい細工が美しい。ぜひご自分の目で実物をご覧ください。
 
 本殿右手に手摩乳・足摩乳神社がある。台風対策か四方をワイヤーでくくられている。
手摩乳命(テナヅチ)と足摩乳命(アシナヅチ)は神話のヤマタノオロチ
の中に出てくる夫婦神であり、櫛稲田姫(クシイナダヒメ)の両親でもある。須佐之男命(すさのおのみこと)がこの家族を助けて後に姫と結婚する事となる。
 主祭神でなくとも御祭神として南九州では大変めずらしい神様で須佐之男命を御祀りする須佐神社や氷川神社や櫛稲田姫を主祭神とする櫛田神社でも御祀りされていること自体珍しいと思います。

 手摩乳・足摩乳神社を参拝後境内を歩いていますと本殿左奥にやはりありました。「素盞嗚神社」。主祭神「大己貴命」にはやはりスサノオの命の御力添えが必要です。合掌!



 参拝時午後3時くらいだったでしょうか、そのときはちょうど神職による御奉仕のときで社内を数名の神職さんがまわられて笛太鼓の鳴り物や祝詞奏上などをされていました。
 その風景と新社殿が実にマッチして「古の神社(かむやしろ)はこんな感じだったのか?」と非常にリアルなイメージが湧き上がってきました。すばらしい、神社です。








神社参拝記