「道は天地自然の物にして人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛するなり。」

 人間の道は、天地自然のものであります。人間は天地自然の賜物であり、また、天地自然を本として生存しているので、天地自然を敬うことが人間本来の目的であります。しかも天地自然は他人も自分も同様に愛されていますから、自分を愛する心をもって他人を愛さなければならないということです。これが天地自然の道であり、同時に人間の道であります。
 南洲翁の「敬天愛人」の思想は、この一節から出ております。人間の道を天地自然におかれたことは、天地自然は真理であり神であり、愛であり仁であるということです。
  元来、人間は神の子であり、人間には、神性が宿っているのであって、良心とか誠とか愛とかは、神性そのものであるというのです。また、人間の生命も大自然の生命そのものの中にあるのであって、自分の身体も実は自分のものではないのです。それを人間は気づかないのです。南洲翁が、人間の道を天地自然において、敬天愛人を説かれたことは、こういう深い根本にふれておられます。

南洲翁遺訓より




 



 拝殿右隅に『西南の役戦没者慰霊塔』とその周りを囲み銅版の戦没者名碑があり戦没者1人1人の氏名が出生地ごとに刻まれている。
 実は私「隼風」(ハヤチ)の曽祖父も西南戦争に参戦していました。
島津家の諸流の家柄で現在の薩摩川内市の郷士でありましたが西郷隆盛公とは敵方の官軍(明治政府軍)でありました。
 ですから、こちらの神社や南洲墓地を参拝するときは少し複雑な気持ちがします。

 こちらがその銅版。戦没者の氏名が刻まれています。
我が先祖と同郷で同姓の方の氏名もありました。同じ親族の間でも主義主張の違いから敵味方に分かれ戦ったのです。



 



 こちらは南洲墓地。2,023名の英霊の眠る墓地である。中央には隆盛公のお墓がある。


 墓地の中央にある西郷隆盛公のお墓です。崇敬者の参拝絶えません。

 幼少の頃より西郷隆盛公に兄事し、隆盛公の側近中の側近であった村田新八(むらた しんぱち、天保7年11月3日(1836年12月10日) - 明治10年(1877年)9月24日)の墓です。
 彼は最後まで隆盛公に忠誠を近い、西郷軍として西南戦争に従軍し、隆盛公自決を見届けさらに進軍し、鹿児島の地にて戦死した。





神社参拝記