鹿児島県霧島市牧園地区にある『和気神社』。国道223号から「犬飼の瀧」方向に少し北上した小高い岡上にある。観光地「妙見温泉観光協会」などや崇敬者の後押しもあり最近社殿を建て直し大変きれいなお社です。
社域は小高い丘の上にあり、天気のよい日は霧島山や桜島が一望できる、誠にすばらしい場所にあります。
こちら『護王大明神』(和気清麻呂公命)の御眷属は狛犬ならぬ【狛 猪】 なのです。



鮮やかな朱の鳥居は壮観です。社殿など、最近立替がなされました。






 こちらが有名な『護王大明神』の御眷属「猪」です。

 こちらが御社殿。再建まもなくきれいです。

社域内に飼われている、いのししのアイちゃんです。







本家の「和気神社」(岡山県和気町)は清麻呂公以前に創始され、遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気家の氏神様だったらしい。鹿児島の和気神社の御祭神は「清麻呂公」一柱です。

<和気清麻呂公>

天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救った。
その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たった。
延暦13年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力した。
また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。

日本後紀には「人と為り高直にして、匪躬の節あり」「故郷を顧念して彼の窮民を憐れみ、忘るることあたはず」と称えられている。延暦18年(799)に67歳で没した。

とあるがこの鹿児島の牧園の地にどう言った御縁で和気神社があるのかというと「宇佐神宮の神託事件で天皇の逆鱗に触れこの地に配流された」というのが御縁。
残念ながら、実際のところ清麻呂公御本人にとってはあまりよいイメージの土地ではないのは確かな事。
 
 遠きこの九州大隅の地ではるか彼方の都を思いさぞや苦しい事でしたでしょう。


 境内にある坂本龍馬新婚旅行の地の看板 清麻呂公の配流地での寂寥感を癒した「犬飼の瀧」
「犬飼の瀧」の入口にある天然の温泉。








神社参拝記