鵜戸神宮」の参拝を終え車で北に向かってしばらく走ると、15分から20分くらいで宮崎市内に入る。この日は宮崎の海岸線をドライブしながらの参拝を予定していました。自宅を出発した時点ではすこぶる晴天のよい天気でした。よいお天気を願って目的地へ向かうものの「雨男」の私は案の定雨に見舞われました。青島神社に着いた時がその日の雨のピークだったらしく、下の架け橋の写真をごらんいただくとわかりますが、ここを渡る時の雨風はまさに台風並みで息が出来ないほどの強風でした。傘をさしてはいましたが、横殴りの風雨で衣服もビショビショになりました。参拝を無事終えた頃には下の鳥居写真のようにすっかり雨が上がり青空も出てきました。
 前置きが長くなりましたが、こちらの青島神社は御祭神が「山幸彦」(彦火火出見尊)であり神話ではあまりにも有名ですが、この青島の地近くに竜宮(海積宮)があり、御妃神で海神の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)との出会ったことになっている。そして、そこから帰られるときの御宮址がこの神社であるという。そういわれれば本殿から、元宮に行く途中の参道は亜熱帯地方の森林を思わせるほどの珍しい草木が群生しており不思議な空間となっています。




島の入り口あたりにこの大鳥居がありました。参拝時は強い風雨に見舞われこちらにたどり着くまで大変な苦労でした。

本宮が離島の上にあるこの神社は陸地から橋を渡って行きます。結構距離ありました。

やっとの思いで着きました。本殿は鮮やかな朱色です。孤島の島なので御社殿の傷みも心配されるはずですが、信奉者多く、何時来てもきれいに手入れしてあります。

拝殿での参拝時また強い雨が降ってきてご覧のとおりです。雨のときはやはり玉響が映ってしまいます。


海積神社(わだつみじんしゃ)
主祭神の義父神様の豊玉彦命
(トヨタマヒコ)を御祀りしています
玉の井(たまのい)
 彦火火出見尊と御妃神の豊玉姫命が使ったといわれる井戸









 この島は元来、聖地とされ限られた神官と島奉行といわれる島を管理する役人しか入島を許されなかった。それほど神聖な場所であったのです。
 そのなかでもこの「元宮」(もとみや)は島のほぼ中央に位置し、この場所で太古の祭祀が行われていたとされます。その証拠に古代祭祀に使われていたとされる『勾玉』『土器』『獣骨』『貝殻』などが多数出土されています。
 参道はなぜか亜熱帯の植物がうっそうと茂り、昼間でも暗いほどです。これだけ本土に近い島で南九州本土でもほとんど見る事の出来ない自然発生した特異な植物が群生するのは大変珍しいとのことです。自生植物は197種でうち熱帯及び亜熱帯植物は27種類ある。
昭和27年に特別天然記念物の指定がされています。

 御由緒にもありますが、この神門をこえるとまるで南の島の密林にいる心地がします。


元宮の入り口である「御成道の神門」をくぐるとまさに異空間です。

御成道です。各種熱帯植物が群生して
います。地面も砂地です
元宮の御由緒です。

元宮の御社です。古代の祭祀場だったところです。

山幸彦の釣糸
願意に応じて色を変えます。
天の平瓮投げ
厳格な作法のもとに行います。
 亜熱帯の樹林に海砂。まさに南の島を連想させます。
元宮社域内には数多くの不思議があるそうです。祈願なども様々です。








こちらも有名な宮崎の観光スポットとしてよく紹介される「おにのせんたくいわ」です。青島の島周はこの洗濯岩(板)に囲まれています。こちらご覧ください→(青島全景写真)まさに自然の神秘。1千万年前の昔から侵食された海岩が現在のような姿形となっています。
それが、まさに「洗濯板」(といっても若い方はわからないのでは)にているのでこう呼ばれるようになったようです。(なぜおになのかはわかりません。昔はこの辺におにがいたのでしょうか?)
 とにかくそのすばらしさをご覧ください。














最近、神社参拝時に「御朱印」をいただくようになりました。青島神社の社務所で早速いただくと2枚にまたがり御記帳されていました。1枚は神社の通常ののものもう1枚は七福神「弁財天」のものでした。聞けば『日向国七福神』と称して宮崎県下の七つの社寺に古来御祀りされていた「七福神」を巡拝する、まことにありがたい信仰です。

「宗像大社」や「江ノ島弁才天」のように神仏習合による島の弁財天信仰がこの青島神社でもあるようです。

こちらがそのサイトです。→「日向国七福神巡り」(歌が、ちとやかましいのでご注意。関係者のかたすいません)








神社参拝記