薩摩路の 花尾の郷の 
 さつまじの   はなおのさとの
  
  垂れ稲穂 傍らに咲く 曼珠沙華
    たれいなほ   かたわらにさく   まんじゅしゃげ             
            桜岳坊



  





 
 平成の大合併により鹿児島市となりましたがここ、郡山町の花尾の郷は未だにのどかな田園風景が広がる。こちらの神社の御祭神は島津家の始祖ともいわれる「源頼朝公」と島津家初代当主「島津忠久公」の母『丹後局』(たんごのつぼね)。神社創始者である永金阿闍梨であります。鎮座地の花尾山は裏手に熊野権現を御祀りした祠があることなどから、もとは山岳信仰に根ざした神仏習合の熊野神社であったものがいつの間にか現在のような御祭神になったようです。
 
 また、このお宮は「さつま日光」といわれますが、なるほどその御社殿のその際立った装飾などから「日光東照宮」の風情に似ているようにも思われます。

 この神社はこのように当時から山中の交通不便な里に御鎮座されているにも拘らず、江戸時代の薩摩統治下にあった琉球の使節も来鹿のおりには必ずこの神社を参拝していた様です。またその当時の南日本での薩摩藩の勢力の強さ象徴するかのごとく琉球使節からの貢物として誠にすばらしい扁額がある。
 



 のどかな田園風景の中に忽然と鮮やかな朱色の鳥居があらわれる。
神社までの道標となります。

 一の鳥居をしばらく進むと社域が見えてきます。二の鳥居です。
島津家家紋「丸に十の字」がはいっています。

 大きな杉木立が続く参道です。拝殿までの階段横にある御神木も青々として生気に溢れています。右下は地元信奉者の寄進の手水舎。

 こちらが「さつま日光」の御拝殿です。迷彩色のすばらしい御社殿です。白い扁額は1,700年代琉球から献上されたものです。

 左は島津家始祖とされる源頼朝公の御影。真ん中は琉球使節から献上された扁額。
御社殿内のすばらしい彫刻や装飾は江戸時代のままです。





 



島津家初代当主忠久公の出生については大阪の住吉大社での逸話が有名です。大社社域内に「誕生石」という史跡が残っています。
出産時に大きな手助けをされたのが「稲荷大明神」の御眷属の白狐神。
忠久公を懐妊時、産気だった「丹後局」が雨の中難渋しているを助けたのが
この神様。その後、島津家はこの話を受けて代々守護神として「稲荷大明神」御祀りされています。



  





 上は「丹後局」のお墓です。多宝塔といわれる立派な墓石です。
下は御苔石(おこけいし)多宝塔のすぐ右下の石塔です。
映像が小さくて見ずらいですが、御苔石の周りの木々にはたくさんお守りが下げられています。(赤いのがそうです)
 地元崇敬者が花尾神社で安産祈願をしてお守りをいただき、無事出産されたのちお礼参り時にこちらの石塔に感謝をこめてお返しするのです。以前は石塔とそれに付いた苔自体を削ってお守りとされたいたようです。削り取られた跡が今でもうかがえます。
 これは局が前出の大阪住吉での難産を無事に乗り越えた故事に由来するもので御当地では「丹後局」は安産の守り神として崇敬される所以であります。

















神社参拝記