平成の大合併により鹿児島市となりましたがここ、郡山町の花尾の郷は未だにのどかな田園風景が広がる。こちらの神社の御祭神は島津家の始祖ともいわれる「源頼朝公」と島津家初代当主「島津忠久公」の母『丹後局』(たんごのつぼね)。神社創始者である永金阿闍梨であります。鎮座地の花尾山は裏手に熊野権現を御祀りした祠があることなどから、もとは山岳信仰に根ざした神仏習合の熊野神社であったものがいつの間にか現在のような御祭神になったようです。
また、このお宮は「さつま日光」といわれますが、なるほどその御社殿のその際立った装飾などから「日光東照宮」の風情に似ているようにも思われます。
この神社はこのように当時から山中の交通不便な里に御鎮座されているにも拘らず、江戸時代の薩摩統治下にあった琉球の使節も来鹿のおりには必ずこの神社を参拝していた様です。またその当時の南日本での薩摩藩の勢力の強さ象徴するかのごとく琉球使節からの貢物として誠にすばらしい扁額がある。
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