高良大社の御本殿を車で2〜3分さらに上がると「奥宮」という木造の立派な鳥居が見えてきます。こちらが入り口。


 鳥居をくぐるとご覧の通り普通の山道。見た目より結構、急な坂です。それを転がるようにしばらく下っていくと右の石造の白の鳥居が見えてきます。


 やっと着きました。三の鳥居です。趣のある鳥居です。左には小さい社務所と手水場。

 御社のなかはまさにお堂といった印象をうけました。仏式の感じです。
昔の日本の信仰対象とはこんな感じだったのだとつくずく思いました。神仏習合なのでしょう。山籠修行者の祝詞や読経、真言が聞こえてきそうです。
「おん べいしら まんだや そわか」


 拝殿裏に回ると御神体ともいえる宝仏塔。
御由緒の解説のように墓所のようにも見えます。こちらが高良山の仙人「高良垂玉命」?












 本宮の主祭神「高良玉垂命」(こうらたれたまのみこと)の御由緒については賛否両論、あり大社のHPによると「古くから筑後の国そのものである国魂(くにたま)として、人々の衣食住にわたる生活全般をお守り下さるとともに、芸能・延命長寿・厄除けの神さまとして、厚く信仰されてきました。」とあります。通常、神社の御祭神は記紀神話に登場する皇祖神と関わりのある神やその土地の藩主やそれに関わりのある功臣など何かしらその鎮座地に関係のある御祭神が祀られるのが普通であるが当宮の御祭神はまったくその由緒がはっきりしないのです。

諸説のなかを大分すると。1つには卑弥呼、邪馬台国説。(卑弥呼の妹とされる豐比淘蜷_:とよひめのおおかみが合祀されています。)もうひとつは渡来人説。(大陸系渡来人)
この2つとなります。
 
 私も九州の神社などについて書かれた書物をいくつかみてみましたがその中でも特に興味深いのは「渡来人説」です。御祭神の御神徳などからか(悪霊を払ったりするいわいる呪詛的な側面「お杖さん」)中国の仙人「徐福」(近隣各地に徐福渡来伝説あり)ではないかとの説。
 
 江戸時代は有馬藩によりこの御祭神を「武内宿禰」(たけうちすくね)と特定して誠に穏便に解釈をしました。でもそれでは面白くありません。また、これもおかしな話ですが、本殿裏の摂社には武内宿禰をお祭りした神社(印鑰神社)があるのです。なぜ、主祭神であるとされる神様がさらに祀られているのか?謎は深まるばかりです。

 そこで、また私の勝手で幼稚な文字解釈です。

宝=たから高良こうらこうらい高麗

 ここで言う高麗とは何も朝鮮半島に限らず大きな意味での外国の意
冒頭でも言いましたが高良山は昔から芙蓉な国土、筑紫平野の重要拠点でありいろんな意味で「高良」(たから)「宝」の山であります。地理的にも九州北部は大陸との関係は特に深いのです。
結論的には同じく渡来人説となりますがそれが仙人「徐福」なのかはわかりませんが。面白い解釈だと思いませんか?渡来人説を裏付けるものとして上記の「奥宮」も「高良廟」とか「御神」といっていたことからみてもいかにも大陸式の呼称が伝えられている。

 話は変りますが、京都の「石清水八幡宮」に参拝したとき麓に「高良神社」(こうらじんじゃ)がありました。(大社からの御分霊です)そちらの御由緒に「高良大神様は八幡市民の氏神であり崇敬しましょう。」などの文言がありました。八幡神と武内宿禰とのかかわりか?。京都八幡の地にも渡来人の伝説があるのか?そう考えるとさらにわからなくなりました。







神社参拝記