「可愛」と書いて「えの」と読みます。『神亀山』の麓、つまりは「新田神社」のすぐ隣にあります。
『神亀山』というのはその山自体がまさに亀の形をしているのでその名が付いたようだ。
神社の御由緒書の中でその航空写真が掲載されていたがまさにそのとおり山が面白いほど亀に似ている。
適切な写真映像が見当たらなかったのでご紹介できないのが残念。興味のある方はぜひ参拝されて、御由緒書をいただかれるとよいと思います。

実は「可愛山陵」は日向国臼杵郡長井村俵野門(かど)にもある。
 日向の埃の山陵は「可愛山陵」は神代、ニニギノミコトの崩御で、筑紫の日向の可愛(可愛は埃(え)と読む)の山陵に葬ったもので、「諸陵式」には日向国にあって、陵戸(墓を守る人)はない、とある。今は薩摩国高城郡水引の宮内村八幡(川内市宮内・新田神社)を祭る山を御陵と定めているが、日向の人々の反論があったようだ。

 いつものことですが神社の御由緒の紹介についてはその起源などのことで諸説あり、神社によってそ主張があり、処々まちまちの見解が多いのでその歴史的検証はほかの方におまかせするとして。。。
ただ、こちらの御陵には宮内庁の事務官の方が駐在されており駐在所も墓所近くにある。
今のところお上の見解としてはこちら鹿児島県薩摩川内市の御陵を正しき墓所と認めておるようです。






宮内庁管理の墓所なので厳しい注意書き
が。
こちらが、天孫ニニギ尊の御陵です。