この神社を参拝してまず感じたのが「格式」「荘厳」「清々しさ」「懐かしさ」というとても心地よいいくつかのイメージがあふれてきます。
地方都市とはいえ県庁所在地である宮崎市街地に鎮座し広大な緑地に囲まれていくつかの観光地化した有名な神社仏閣とは違い、雑多な観光客目当ての商店街もなくあたり、、一面が「鎮守の杜」としての穏やかなイメージを維持しています。
お参りしていて心癒される神社のひとつです。

 神社参拝の折、こういったすばらしい感覚にさせていただいた時は神様への感謝の気持ちも一層深まるような気持ちとなり沢山の御神徳をいただけたたような気持ちになり幸せになります。こう思わせていただける神社はきっと御神縁をいただいているのだとつよく感じる次第です。生意気なようですがわたくしと非常に波長の合う神社といっても過言でないと思います。
ありがたいことです。何回でも参拝したい神社です。


 お参りして気付いたのですがこちらの神社は「狭野神社」(霧島六社権現)に似ているな言うことです。宮崎神宮を一回り小さくした感じの御社だったはずです。考えてみればなるほど狭野神社も『神武天皇』が御祭神の御分霊社です。
御祭神の性格から御社も同じ雰囲気を醸し出しているようです。




参拝日はあいにくの雨で特に神宮到着時はご覧のとおり雨足の強さもピークでした。
参道へつながる大鳥居です。靖国型の鳥居ですね。

拝殿です。細かい敷石が敷かれていて、掃除も行き届いており、清浄です。御神殿も非常に立派です。この神社の御社の特徴としては他社と違い朱色などの明彩色はつかわれておらず。木材の木目が強調されるような渋い感じです。これが本来の御社なのでしょうね。まるで太古の宮殿のようなイメージです。

初代天皇である「神武天皇」を御祀りした御社らしく処々にそれらしいものが。

御神殿手前の拝殿です。通常の参拝ではこちらまでです。拝殿も神明造りでまるで大きな神棚のようです。

こちらは表示には祓所とありましたが。 参道の二番目の鳥居です。拝殿
を背にするとこんな感じです。
御由緒書きです。撮影時雨足が一段とひどくなり猫も雨宿りです。1枚目撮影時きずきませんでしたが2枚目でこちらを向いてくれたので「パチリ」











 
 日本の皇系の祖となった「神代初代の天皇」となる『神武天皇』は伝によると神武天皇は紀元前711年2月13日に鵜葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の四男(または三男)として生を受けたとある。
即位した2月11日は日本が建国された日とされ、第二次世界大戦前は紀元節、戦後も建国記念の日として祝日である。この日から皇紀の年号が始まる。(紀元前711年が建国年であるので、西暦+711年が皇紀年)
 
 勇猛果敢な戦闘の神としての性質が強く全国各地の神社にお祀りされており、御神徳はその御神格から一般的には「勝負必勝」やマクロ的な意味としては「国土安寧」など「日本人の心の父」として親しまれた神様である。

 『天孫降臨の地』である南九州は(諸説あるが)「筑紫の日向」(つくしのひむか)太古の皇居(高千穂宮)址が各地にあり、神武天皇にいたるまで神代の皇帝の足跡が確認できる。
















Emperor Jimmu (神武天皇) Artist: Tsukioka Yoshitoshi (月岡吉年): 1839-1892 From series: Mirror of Famous Generals of Japan (大日本名将鑑): 1876-1882





神社参拝記